福津郷土史会8月例会記録

令和5年8月3日(木)

於:視聴覚室13:30~

1 会長あいさつ

・西日本文化協会の雑誌西日本文化を読んだ。八波則吉が名物先生として紹介されていた。また、仏師には飢饉の無い安定した時代でないと仕事の依頼がなったようだ。

2 今後の予定及びお知らせ

(1) 九州歴史資料館訪問(829日火10:00カメリア図書館前集合)

  車両45台(①小川、②西、③田中、④永尾、⑤花田)

LINEに道順と住所を送っているので、確認をお願いする。当日は暑いのでカメリアホール内に集合待機のこと。

(2) 古地図の寄贈・大賀さんが古地図に書かれている文章を詳細に説明⇒9月例会で内容を書面で提供

  ・福岡城周辺図・博多山笠順路図

  ・大内氏寄贈古地図(小倉藩士屋敷図、小倉市街図、久留米市街図、熊本市街図等)

(3) バス研修について

・研修場所は伊都国歴史博物館他、弁当はまとめて注文するが、費用は圃人負担

(4) その他

 

3 LINE研修  

VOOMとは?⇒ストーリーに投稿することができるなどインスタ的な機能

LINE研修は今回までで、次回から西さんのFacebook研修を開始します。

4 調査研究発表

(1)「小氷期と飢饉、福岡藩の財政状況」について

・享保の飢饉の時に黒田継高は財政難から「百姓は自力救済してくれ」との通達を発出した。財政難の原因は、長政時代に十分な検地が実施できなかった事、手伝普請や長崎警護で多額の費用がかかった事、行き過ぎた知行制等であった。

・その資金不足は、根本的な財政改革で改善されることなく、一時凌ぎ的な京銀に頼り山林売却で返済を行ったため、洪水が多発するなど負のスパイラルに陥ってしまった。

・継高時代は、「一国一統の政」を説き、挙国体制で農民救済を行ったが、その後の藩主達は、塩・枦・石炭・卵の専売制や藩札発行等で財政改善を企図したが、藩札乱発で藩の信用を失墜させ、結果的に庶民に大きな負担を強いる事となった。

(2)「五色百人一首の紹介」について

・五色百人一首とは、百首を20首づつ5組に分けてゲームを行うことで、子供でも和歌に親しみ易くしたもの。現在、福津の小学校、教育委員会、子供会、郷づくり等を廻り、五色百人一首の普及に努めている。その結果、福間小で授業として取組むこととなった。福岡は三池カルタ博物館・恵蘇八幡宮など小倉百人一首に関する歴史的なものも多く教育的にも有意義。

(3)その他

 

5 その他

※ 次回例会 9月7日(木)視聴覚室

 

※ 九州歴史資料館8/29カメリア10:00集合 郷育絵馬10/6 清滝水路3/8